富山市(歴史)概要: 富山市の市街地には勅使塚古墳や王塚古墳など大型な前方後方墳が点在していることから地方豪族が存在し中央との繋がりの深い地域だったと思われます。南北朝時代に入ると桃井直常が越中守護として支配しますが本家筋である足利家と対立し何度も騒乱を起こしています。
その後、神保氏が支配し富山市中心部は家臣である水越氏が領主となり、天文12年(1543)に富山城を改修するなど領土開発を行いますが織田信長の越中侵攻により軍門に下り新たに佐々成政が越中守護職として54万石の領主になります。
本能寺の変後、成政は豊臣秀吉と対峙し天正13年(1585)の富山の役で秀吉軍10万の兵に囲まれ降伏、以後は秀吉に組した前田利家が支配します。慶長2年(1597)からは嫡子前田利長が富山城に入り周辺を整備し、加賀藩主として一端金沢に移りますが隠居後に再び富山に戻っています。
寛永16年(1639)加賀藩3代藩主前田利常の次男利次が10万石で分知され富山藩を立藩、以後富山前田家が13代藩主を世襲し明治維新を迎えています。
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