小矢部市(歴史)概要: 小矢部市には6世紀初頭に築造された若宮古墳が発見されるなど古くから中央との繋がりのあった地域です。小矢部市は越中国と加賀国との国境に接したことで交通の要衝として重要視され和銅5年(712)には砺波の関が設けられ(推定)、寿永2年(1183)には国境である倶利伽羅峠を挟んで平維盛を中心とする平家軍7万(4万とも)と木曽義仲を中心とする源氏軍3万(5千とも)が対峙し世に言う"倶利伽羅峠の戦い"が起こっています。
天正13年(1585)前田利家が佐々成政攻略の為の戦略的拠点として今石動城を築いた頃から本格的に開発され、敵対した佐々成政との交戦の舞台ともなりましたが前田利秀が城主になると城下町として整備され周辺の中心地として発展しました。江戸時代に入り一国一城令により今石動城は廃城となりましたが、この地は周辺の行政的、軍事的な重要性は変わらず町奉行所を設け引き続きその任にあたっています。又、小矢部市は北陸道の宿場町、小矢部川舟運の河港にもなっていた事から周辺から多くの物資が集められ集積場として経済的にも発展しました。
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