白鳥城(富山市)概要: 白鳥城は富山県富山市吉作に位置する城郭です。白鳥城の築城は平安時代末期の寿永2年(1183)、源義仲(木曽義仲・木曽源氏棟梁)の家臣今井四郎兼平(義仲四天王)が陣を張ったとするのが始まりと記録に残っています。
白鳥城は富山平野を見下ろす呉羽丘陵の城山(標高145.3m)の山頂付近にあり眺望が開け、交通の要衝だった事から軍事的にも重要視され、越中守護となった神保氏が富山城の詰城として整備拡張し本格的な城郭となりました。
戦国時代には越中に侵攻した上杉謙信(関東管領、越後守護、春日山城の城主。)の攻撃により神保氏が没落した事で上杉家支配となり、謙信が死去すると織田信長配下の佐々成政が領主となります。
富山の役で重きを成した白鳥城
天正10年(1582)に発生した本能寺の変で信長が自刃すると豊臣秀吉(当時の羽柴秀吉)が台頭し越中に侵攻すると秀吉と対立していた佐々成政は白鳥城など多くの支城を放棄して富山城に立て籠もった為、秀吉は富山城を見下ろすこの地に陣を構えました。
成政が降伏した後は秀吉に従属した前田利家(金沢城の城主)が所有し、白鳥城は城郭として整備拡張され、嫡男である前田利長(守山城の城主)を補佐する岡嶋一吉と片山伊賀が配され引き続き、成政を監視出来る体制を維持しました。
天正15年(1587)の九州征伐で大功があった成政が肥後国(現在の熊本県)に移封になると越中の時勢も安定した為に重要性が失われ、慶長年間(1596〜1615年)に廃城になりました。現在も郭の形状や土塁、空堀、井戸跡など比較的遺構が残っています。
白鳥城:上空画像
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