内山邸(富山市)概要: 内山邸は富山県富山市宮尾に屋敷を構えている古民家です。内山家は大永・享禄年中(1521〜1531年)にこの地に土着すると新田開発を推し進め大地主となり、当地の農業振興、文化振興などに尽力し大きな影響力を持ちました。
江戸時代に入ると富山藩の十村役(他藩でいう大庄屋役に相当)を歴任し1千7百石を管理、苗字帯刀が許され、藩主が当地域で視察や鷹狩りを行った際には休息所として利用されました。明治維新後も政治家や文人墨客なども来訪し格式ある座敷や趣のある庭園、茶室を楽しみました。
現在の内山邸の建物は慶応4年(1868)に建てられた、木造平屋建て(1部2階建て)、切妻、瓦葺き、建築面積860u、正面の玄関には式台が付き当時豪農としての格式が感じられ、3759坪の敷地内には広大な庭園が広がっています。内部は正面には大広間、座敷、表座敷、台子の間、外川の間、書院、月見台などの表向きの部屋が並び、その奥には居間や台所、食事の間、女中部屋などの日常生活が行われる部屋が配されていました。
豪農の館として知られる内山邸の建物群
内山邸は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から主屋、表門(慶応4年建築、切妻、桟瓦葺、元茅葺、薬医門)、北門(江戸後期建築、切妻、桟瓦葺、棟門)、東門(明治時代建築、切妻、桟瓦葺、棟門)、背戸の門(明治時代建築、切妻、桟瓦葺、棟門)、塀中門(明治初期建築、石造)。
土蔵(明治時代建築、土造2階建、切妻、桟瓦葺、建築面積184u)、にわとり小屋(明治時代建築、木造平屋建、切妻、桟瓦葺、建築面積32u)、にわ(作業場:明治時代建築、木造平屋建一部2階建、切妻、桟瓦葺、建築面積92u)。
もみ倉(明治時代建築、土造平屋建、切妻、桟瓦葺、建築面積40u)、茶室(夜雨廰:明治12年建築、木造平屋建、切妻、桟瓦葺、建築面積25u)、茶室(三入庵:昭和2年建築、木造平屋建、切妻、桟瓦葺、建築面積20u)、井戸上屋(明治時代建築、木造平屋建て、宝形造、桟瓦葺、建築面積12u)、
付属舎(人力車おき場・車夫小屋・炭小屋:明治時代建築、木造平屋建、切妻、桟瓦葺、建築面積58u)など14棟が平成10年(1998)に国登録有形文化財に登録されています。現在は富山県が譲り受け県民会館として当家に伝わる様々な歴史資料や美術品と共に一般公開されています。
内山邸:上空画像
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