朝日町(歴史)概要: 朝日町は越後国と越中国の国境だった為、古くから軍事的要衝として重要視された地域で、宮崎城では後白河法皇の後裔北陸の宮が居を構えこの地を支配しました。戦国時代は上杉氏、佐々氏、前田氏などの攻防戦が繰り広げられなど戦場となり、江戸時代に入ると加賀藩領に属します。朝日町は加賀藩の参勤交代で利用する北国街道(北陸道)が通り藩境に接していた為、宮崎城が一国一城令で廃城となると平地に境関所を設け厳重に人物改めや荷物改めが行われ60人の人員が配置されていました。
又、朝日町はヒスイの産地であった事から五世紀後半には玉造を生業とする一族が土着していたとされ"浜山玉造遺跡"では玉造り製造の工具などが出土し延長15年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている鹿嶋神社などもあり古くから開けていた地域だったと思われます。
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