高岡市(歴史)概要: 高岡市周辺は古くから、越中国の中心として重要だった地域で5世紀前後には桜谷古墳が築かれるなど有力豪族が存在していたと思われます。7世紀末には越中国が立国し現在の高岡市伏木地区に国府が設置されました。中世に入ると越中国婦負郡守護代神保氏が支配し、守山城を中心に勢力を広大します。
天正4年(1576)、上杉謙信の越中侵攻により一時上杉家の支配となりましたが、謙信の急死により越後に内乱が起き間隙をついて織田信長が侵攻し家臣である佐々成政が新たに領主となります。信長が死去すると成政は豊臣秀吉と対立、成政は天正13年(1585)に攻略され、越中攻めで功のあった前田利長が守山城を与えられます。
江戸時代は加賀藩に属し慶長14年(1609)に2代藩主前田利長によって高岡城が築かれます。高岡市は藩域である加賀、能登、越中の中心地にある重要拠点で高岡城は利長の隠居城となっていましたが元和元年(1615)に一国一城令が発令されると廃城となります。その後も高岡の地は加賀藩における当地方の軍事的、行政的な重要性は変わらず旧高岡城内には米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが設置され土塁や堀などの城塞的な機能が保持されました。
高岡市・歴史・観光・見所の動画の再生リスト
|