各願寺(富山市)概要: 北叡山各願寺は 富山県富山市婦中町長沢に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。各願寺の創建の創建は大宝年間(701〜703年)、文武天皇の勅命により仏性聖人(天武天皇第七皇子自信院一品親王)が開山したのが始まりと伝えられています。
隣接地にある王塚は古くから仏性聖人の墳墓と伝わる前方後方墳ですが、調査の結果、古墳時代前期(3世紀後半から4世紀前半)に築造されたものと推定され現在は当時の有力首長の古墳と考えられています。
各願寺は当初、法相宗の寺院でしたが、平安時代初期に伝教大師最澄が各願寺を訪れ天台宗に改宗し、2躯の木造薬師如来坐像を自ら彫り込むと1躯を当寺の本尊、もう1躯を比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)に収めました。
天皇の勅願所だった各願寺の境内
天皇の勅願所として寺運が隆盛し最盛期には境内には七堂伽藍が整備され寺坊が3000余を擁するなど大きな影響力を持ちましたが建武年間(1334〜1336年)に能登国司中院少将定清と共に越中国守護の井上俊清(普門利清)と対立しその兵火により全山焼失しています。
その後、再興されましたが天正3年(1575)に越後勢の侵攻の兵火により再び焼失し次第に衰退していきました。
寛文年間(1661〜1675)に真言宗の寺院として再興され富山藩(藩庁:富山城)が立藩すると歴代藩主の祈願所として庇護されました。
特に初藩主前田利次は延宝2年(1674)に寺領を安堵する寄進状を発布し、2代藩主前田正甫は度々各願寺を訪れ領内第一と称される桜の名木を鑑賞したと伝えられています。又、創建当時は奈良などから勅使や学僧が来訪し度々「曲水の宴」が催されていたとされ、歴代藩主もそれに倣い花見の宴や歌会を催したそうです。
富山前田家から庇護された各願寺の本堂
各願寺は寺宝も多く所持し初代富山藩主前田利次の黒印が押された寺領寄進状(紙本墨跡、掛幅装、縦39.9cm、横50.8cm)と2代藩主前田正甫によって詠まれた"各願寺観花の詠"の掛幅装(紙本墨跡、縦31.0cm、横45.2cm)、南北朝時代に制作された絹本著色不動明王像(縦113.3cm、横59.5cm)が平成11年(1999)に富山市指定文化財に指定されています。
山門は切妻、桟瓦葺き、三間一戸、中央部の屋根が高く左右には左甚五郎が彫刻したと伝わる仁王像安置、「北叡山」の山号額が掲げられています。本堂は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、桁行8間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。
北陸白寿三十三観音霊場第26番札所。北陸三十六不動霊場第17番札所(札所本尊:不動明王)。山号:北叡山。宗派:高野山真言宗。本尊:薬師如来。
各願寺:上空画像
|