多久比礼志神社(富山市)概要: 多久比礼志神社は富山県富山市塩に鎮座している神社です。多久比礼志神社の創建は不詳ですが伝承によると白鳳元年(672)、林宿禰弥鹿伎がこの地を訪れたところ国魂神の分身と思われる1人の白髪の老人から塩分濃度が高い泉の場所を教えてもらいました。林宿禰弥鹿伎はこの地を開発すると共に国魂神を信仰し社殿を建立し祀ったのが始まりと伝えられています。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている越中国婦負郡に鎮座していた式内社の論社で、古代から当地にあった「塩水泉」が信仰の対象になっていたと思われます。
しかし、「多久比禮」が「栲布」を意味している事から、塩や泉と関係が深い当社とは全く異なり、式内社多久比礼志神社では無かった可能性もあります。南北朝時代の正平24年(1369)に発生した兵乱により社殿が焼失したものの天授2年(1376)に再建、しかし、戦国時代の天正年間(1573〜1592年)の兵火で再び境内が荒廃しています。
江戸時代までは神社の由来や地名から塩の宮などと呼ばれていたようですが明治時代に入り旧社号と思われる多久比禮志神社に現在の社号に改称し明治元年(1867)に郷社に列し明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。祭神:彦火火出見命、豐玉姫命、鹽土老翁。
多久比礼志神社:上空画像
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