いたち川(富山市)概要: 案内板によると「 西ノ番地内で常願川常西合口用水から分かれたいたち川は、延長12キロメートル、富山市内を貫流して、今木町で松川を合わせ、中島地内で神通川にそそぐ。もとは清水又用水の流れ末だったが、天正9年(1581)富山城主となった佐々成政が、城の東の守りとして、(外堀の役目)刀尾神社に祈願して今のように整備した。承応元年(1652)より、薪村の木呂流しが行われ、木場川原で陸上げされた。今木町はその名残りであり、以前は、若木町(現在の辰巳町一丁目、室町通り二丁目)、下水町(現在の今木町、本町)等の町名があった。立山登拝のいたち川道は、この川沿いに上滝へ通じており、大泉に立山道標がある。また洪水から町内の安全を祈って24の橋のたもとに、49体の地蔵や観音がまつられ、それぞれ立山伝説を今に伝えている。 富山市 」とあります。
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