伝:越中守護桃井直常墓(富山市)概要: 桃井直常は足利家一門で、当初は足利尊氏と行動を共にして南北朝時代の延元元年(1336)の南都合戦で北畠顕家を破った事で名声を得て若狭国(現在の福井県西部)・伊賀(現在の三重県西部)・越中(現在の福井県)を守護する大身となりました。
その後、建武5年(1338)に発生した奈良般若坂の戦いで大功を挙げたものの、恩賞がなかった事から尊氏と対立し、代わって尊氏の弟である足利直義に与するようになりました。
観応元年(1350)に観応の擾乱が起きると足利直義方の有力武将として参戦し何度も越中、信濃(現在の長野県)などで戦に及びましたが、その都度鎮圧され次第に勢力が失われました。
貞治6年(1367)に斯波義将らに敗れると消息不明になり、最期が不明確なところから桃井直常墓と伝わるものが全国に点在し、特に著名なものとして富山市月岡町や群馬県吉岡町、横浜市港北区高田町などがあります。
この地は隣接する東薬寺が直常の菩提寺と伝わるなど直常と関係の深い場所で田圃の真ん中に数基の五輪塔が建立され、「伝越中守護桃井直常墓(名称は「五輪塔」)」として昭和38年(1963)に富山市指定史跡に指定されています。
伝:越中守護桃井直常墓:上空画像
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