日枝神社(富山市)概要: 日枝神社は富山県富山市山王町に鎮座している 神社です。日枝神社の創建は不詳ですが、社号と祭神から察すると山王信仰の本社である日吉大社(滋賀県大津市坂本)から分霊が勧請されと推定される神社で、古くから産土神として信仰され歴代領主からも崇敬されてきました。
当初は越中国新川郡針原に鎮座し広大な境内を有していましたが建武2年(1335)、南北朝の動乱の兵火により焼失したことで旧上新川郡大山町隠土に移り、さらに旧上新川郡中野村古宮、貞享6年(1367)に現在の富山城付近に遷座しました。
戦国時代に入り佐々成政が越中国(現在の富山県)に配され、富山城の城主になると城の拡張整備が行われ、その際、城域にあった藤居山富山寺を現在地に移し日枝神社はその鎮守社となりました。
富山の歴史と関わりが深い日枝神社の拝殿
天正15年(1587)成政が肥後(現在の熊本県)に移封となり、前田利長(加賀藩初代藩主、前田家2代)が越中領主となりと社殿の造営と社領の寄進が行われ、江戸時代に富山藩が立藩すると歴代富山前田家の崇敬社となりました。
元禄3年(1690)には2代藩主前田正甫が神輿2基を寄進するなど明治維新まで篤く庇護されました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により富山寺とは分離し、明治6年(1873)に郷社に、明治32年(1899)に現在地に遷座し県社に列しています。
現在も山王さんの名で親しまれ市内中心部53ヶ町の産土神として広く信仰されています。境内にある弁慶石は源義経が奥州平泉(岩手県平泉町)に下向する途中、岩瀬付近で休息した際、弁慶が義経の腰掛けに運んだ石と伝えられたもので針原に鎮座していた時に寄進されたものと考えられています。祭神:大山咋神、大己貴命。相殿神:天照皇大御神、豊受大御神。
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