高岡城: 歴史・観光・見所

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概要・歴史・観光・見所
高岡城概要: 築城は慶長14年(1609)、前田利長(前田家2代目当主・加賀藩初代藩主)によって築かれました。高岡城利長は当初富山城を隠居城としていましたが火災により焼失し新たに領地である加賀、能登、越中の中心地である高岡に城を移しました。高岡城を築くにあったては前田家の客将だった高山右近(キリシタン大名として知られバテレン追放令により6万石の知行が取り上げられ、その後前田利家から1万5千石が与えられ加賀に招かれた。)が関わったと伝えられ、現場では神尾之直らがその任にあたっていました。高岡城は東南約502m、南西約362m、西北約457m、面積21万uの平城で本丸、二の丸、三の丸、明丸、鍛冶丸の5つ郭から構成され、それぞれが広く深い堀と高い土塁によって囲まれています。高岡城慶長19年(1614)に利長が死去し、元和元年(1615)に一国一城令が発令されると高岡城は廃城となり主要な建物は破棄されますが、加賀藩における当地方の軍事的、行政的な重要性は変わらず旧城内には米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが設置され土塁や堀などの城塞的な機能が保持されました。前田家は加賀国、越中国、能登国の3国を支配している事から考えると、理屈上はそれぞれの国に城が認められるはずなので、単純に幕府に対して遠慮したという事かも知れません。加賀藩の藩祖となった前田利家は豊臣秀吉亡き後、天下を狙う徳川家康に対しての急先鋒で、初代藩主で高岡城を築いた前田利長も家康から謀反の疑いを掛けられるなど極めて微妙な立場で、江戸時代に入ると徳川家に次ぐ120万石の大藩だった事も危険視される要素となっています。

前田家は徳川家に対して臣従する一方で領土防衛と経営の観点から高岡城の存在は欠かすことが出来ず、代官所として幕府に届けながら城郭として維持するという苦肉の策を取っています。城郭内部の主要な施設は破却されましたが、水掘や土塁などは残され、幕府の役人が高岡に訪れた際、直接それらが見られないように城下町が改めて町割されています。利長の菩提寺である瑞龍寺(国宝)や墓域の周囲の堀も高岡城の防衛施設として見立てられていたとされ、その他にも有礒正八幡宮の境内には石垣が積まれ戦時では軍事利用する計画だったと伝えられています。

高岡城下には武家屋敷の遺構は見られませんが北国街道沿いに町割された山町筋や鋳物師の職人町である金屋町には古い町屋(町家)建築が軒を連ね伝統的な町並み(国の重要伝統的建造物群保存地区)が残されています。文政4年(1821)の高岡大火に類焼し多くの施設は焼失、その後、一部再建されましたが明治時代維新の廃城令により廃城となっています。高岡城は残されていた建物も破棄され敷地も払い下げにされる予定でしたが住民による公園指定請願運動により射水神社などが遷座されるなど明治6年(1873)から公園条例に基づき高岡公園(後の高岡古城公園)として整備、平成元年(1988)には都市公園100選に、平成21年(2009)に富山県教育委員会による「とやまの文化財百選(近代歴史遺産)」に選定されています。又、高岡城は平成18年(2006)に日本100名城に選定されています。

【高山右近】−高岡城は前田家の客将だった高山右近が縄張りした云われてます。しかし、実際の縄張りを見ると右近が持っている城郭思想とは異なる点が多い事から前田利長自ら行った考えるのが自然、辻褄が合うとも云われています。高山右近は生粋のキリシタン大名で、当初の領地だった高槻(現在の大阪府高槻市)の殆どの領民をキリスト教に転じさせた為、神社や寺院は衰退し、現在でも周辺の他地域と比べると極端に社寺仏閣の数が少ないとされます。それでも、豊臣秀吉に従った事で天正13年(1585)には播磨国明石郡6万石の大名に取り立てられ一目置かれる立場となっています。

しかし、織田信長(安土城の城主)以来、自由に布教されたキリスト教により、神社仏閣の迫害、日本人が奴隷として連れ去られる、スペインの軍艦が寄航するなどの風潮を正す為、秀吉は天正15年(1587)にバテレン追放令を発布、これにより右近は領地を返上し流浪の身となりました。その後、暗黙の内に許され(正式には許されていない)、天正16年(1588)に前田利家から召還され1万5千石が与えられ、金沢城(石川県金沢市)などの縄張りなども行ったとも云われています。慶長19年(1614)、江戸幕府が秀吉が発布した「バテレン追放令」よりも実効性のある「キリシタン国外追放令」が発布されると、右近は前田家から離れ長崎からマニラに移住、慶長20年(1615)に病気の為に死去しています。

高岡城:写真

高岡城
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