前田利長墓所(高岡市)概要: 加賀藩初代藩主、前田家2代当主である前田利長の墓所は慶長19年(1614)、利長が隠居城である高岡城で死去してから33回忌にあたる正保3年(1646)に2代藩主前田利常(前田家3代)が菩提寺である瑞龍寺の門前東へ造営したものです。
瑞龍寺とは八丁道と呼ばれる参道(約1km)で繋がり墓域には幅15.5m、高さ5.0mの戸室石製(石川県金沢市の戸室山から産出される斜方輝石を主とした安山岩。江戸時代には前田家や家禄の高い家臣しか使用が認められていなく、殿様石の異名があります)の三重墳壇、約8mの花崗岩製の笠付墓標が建てられ参道には多くの石灯籠が奉納されました。
当初の総面積は約3万3千u(現在の保存地域は1万u程度)、内堀の他、3方向の外堀が設けられ、戦の際は高岡城の砦の1つとして機能するように計画されました。大名の個人墓所としては国内最大級の規模を誇り、野田山前田家墓所(石川県金沢市)の藩祖前田利家をはじめ歴代藩主の墓と比べても圧巻で、石柱墓に彫り込まれた狩野探幽が下絵したと伝わる130枚にのぼる蓮華図文様は格式を感じさせてくれます。
前田利長墓所の規模は利家の幅20m、高さ5.7mを意識して下回っているものの、基本的に野田山前田家墓所では土壇と石柱で構成されている為、利長の墓の方が格式の高いものに感じられます。前田利長墓所は近世大名墓所の知る上で欠かすことのできない貴重なもので野田山前田家墓所と共に「加賀藩主前田家墓所」として平成21年(2009)に国指定史跡に指定されています。又、利長墓所を含む周囲約5.2haが平成16年(2004)に「前田公園風致地区」に指定されています。
前田利長墓所:上空画像
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