守山城(高岡市)概要: 守山城は富山県高岡市東海老坂城山に位置している城郭です。守山城の築城年は不詳ですが南北朝時代後期には越中守護斯波義将の居城だったとされ室町時代の建徳2年(1371)に敵対した桃井直常と石動山天平寺(石川県鹿島郡中能登町:現在の伊須流岐比古神社)の宗徒が城を攻め落としています。
当時、守山城は越中平野が一望でき小矢部川や氷見の湖沼に囲まれた要害堅固の山城として知られ歴代領主となった神保氏居城として利用され越中国(現在の富山県)の中心的な地位を確立しました。天正4年(1576)に上杉謙信(春日山城主、関東管領、越後国守護)の越中侵攻により神保氏は敗れ守山城は落城しますが、天正6年(1578)に謙信が死去すると織田信長が越中国に侵攻、家臣だった佐々成政が付近を制圧しそれに従った神保氏が復権します。
天正13年(1585)、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が富山の役により佐々成政を攻略したことで越中攻めで功のあった前田利長(前田利家の嫡男、加賀藩初代藩主)が守山城を与えられ居城となりましたが、慶長2年(1597)に富山城に拠点を移した事で重要性が失われました。
その後、前田長種が城代として勤めましたが程なく廃城となっています。守山城跡(本丸跡)は中世の山城の遺構として貴重で、当地域の中世の歴史に欠かせない存在である事から平成26年(2014)に高岡市指定史跡に指定されています。
守山城:上空画像
|