・長安寺館が何時頃築かれたのかは不詳ですが、発掘調査で出土した遺物から戦国時代に築城されたと推定されています。
伝承によると若栗城や善念寺館とは地下で結ばれており、入善城と密接に関係していたと伝えられています。若栗城の城主不悪凡済右京補は上杉謙信と対立した為、上杉勢に攻められ落城し自刃に追い込まれている為、当館も命運を共にしたのかも知れません。善念寺館と入善城については城主や築城年等は不詳な為、伝承以上の事は判っていません。
長安寺館の館主と伝わる庭田氏の詳細は不詳、館跡に境内を構えている長安寺の住職も庭田姓である事から子孫、又は一族の後裔と思われます。又、庭田姓は富山県内では黒部市が一番多く、当地を支配した土豪だったのかも知れません。
長安寺館は東西81m、南北59m規模の単郭の居館で、現在も東、南、西側の3方に土塁が残されています。現在の土塁は幅約4m、高さ2m規模ですが、調査の結果、土塁の一部が何度も嵩上げされた形跡が見られる事から当初は土塁は幅2m程、高さ1m程だったと推定されています。
又、館跡は長安寺の境内として利用さている為、土塁が南北に山門と通用門の2箇所が切断され、多くが石垣風の玉石が積まれています。長安寺高田の土塁は貴重な事から長安寺の山門の附属土塁として黒部市指定文化財に指定されています。
富山県:城郭・再生リスト
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