本行寺(前田利秀の墓)概要: 津幡山本行寺は富山県小矢部市八和町に境内を構えている日蓮宗の寺院です。本行寺の創建は天文5年(1536)に開かれたのが始まりとされます。
創建当初は能登国七尾(石川県七尾市)にありましたが前田秀継(前田利春の6男、前田利家の弟)が庇護した事で天正11年(1583)に前田秀継が津幡城(石川県津幡町)7千石の城主になると津幡城下に移り、天正13年(1585)に木舟城(高岡市福岡町)4万石の城主になると木舟城下に移っています。
同年、天正大地震が発生し木舟城は倒壊、秀継も城に押し潰され死去、本行寺も大破しました。
跡を継いだ前田利秀は木舟城の再建を諦め天正14年(1586)に居城を今石動城に移した為、本行寺も現在地で再興し堂宇が造営されました。
前田利秀の菩提寺となった本行寺の本堂
利秀は文禄2年(1593)、朝鮮出兵で肥前名護屋城へ向かう途中で重病となり、京都で治療しますが12月19日、26歳で死去し、生前から信仰していた日蓮宗の本行寺に葬られ当寺が菩提寺となりました。
境内背後にある五輪塔は前田利秀(戒名:良将院光等正恵居士)の墓とされ昭和40年(1965)に小矢部市指定史跡に指定されています。
本行寺の寺宝である絹本着色前田利秀画像は大坂の画家が描いた利秀が19歳の時の肖像画で本行寺18代住職 蓮心院日芳の賛があり、昭和40年(1965)に矢部市指定有形文化財(絵画)に指定されています。
白漆俳諧奉納額は寛政12年(1800)に城端町の俳人連20名により奉納されたもので短冊製作・オランダ文字は小原一白、前書き・俳句文字は津幡屋長平、製作当時の今石動には郡奉行所と町奉行所が設置されていた為、今石動地区、氷見地区、城端地区を支配していた事から今石動と城端との文化交流が分かる資料的価値と色漆塗りの短冊に様々な飾り文字が書きめぐらされている工芸的価値があるものとして昭和40年(1965)に小矢部市指定有形文化財(工芸品)に指定されています。
山号:津幡山。宗派:日蓮宗。本尊:十界大曼荼羅。
本行寺:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-小矢部市教育委員会
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