砺波の関所(小矢部市)概要: 砺波の関は奈良時代初期の和銅5年(712)に越中国(現在の富山県)と加賀国(現在の石川県)の国境付近で古代の官道である北陸道沿いに設けられたと推定される関所で、鼠ヶ関(越後国:現在の新潟県と出羽国:現在の山形県の境にあった関所)、愛発の関(近江国:現在の滋賀県と越前国:現在の福井県の境にあった関所)と共に"越の三関"の1つと言われています。
万葉集では越中国守で歌人であった大伴家持(三十六歌仙の一人、天平18年:746年から天平勝宝3年:751年まで越中守として当地に赴任し、223首の歌を残しています。)が「 焼太刀を 礪波の関に 明日よりは 守部やりそへ 君をとどめむ 」の歌を残しています。
この和歌は天平感宝元年(749)5月5日に東大寺(奈良県奈良市雑司町)占墾地使の僧平栄等を持成した際に詠まれたもので、「あなたを東大寺に帰すのは名残惜しいので明日からは砺波関所に番人を増やして、あなたを越中国に引止めようと思います。」という意味と思われます。
砺波関所の正確の位置は不詳ですが明治42年(1909)に砺波山保存会が現在地に石碑等を建立しています。
砺波の関所:上空画像
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