浅地神明社(小矢部市)概要: 浅地神明社の創建は貞観元年(859)に勧請されたのが始まりと伝えられています。鎌倉時代の文永年間(1264〜1274年)から弘安年間(1278〜1287年)に勅願所となり社運も隆盛し歴代越中国守や領主から崇敬庇護されました。中世に入ると小泉城主桃井播磨守や増山城主神保安芸守から社領の寄進が行われ、室町幕府8代将軍足利義政も祈願所として太刀一振が奉納されています。天正11年(1583)豊臣秀吉の佐々成政攻めに際、木舟城主佐々平左衛門が浅地神明社を焼き討ちし多くの社殿や社宝、記録などが焼失しています。江戸時代に入ると加賀藩前田家が庇護し社領10石5斗を安堵、伊勢神宮(三重県伊勢市)の御師桧垣ニ見太夫は毎年春になると参拝に訪れ御土産等を持参したとされます。
現在の本殿は江戸時代初期に再建されたもので一間社神明造り、こけら葺き、桁行1.98m、梁間1.66m、正面1間向拝付、外壁は素木板張り、神明造りの神社本殿建築としては全国的に見ても最古級で、神明造りから流れ造りの以降にあたる建物して貴重な存在で昭和40年(1965)に富山県指定有形文化財に指定されています。祭神:天照皇大御神、豊受媛大神、天手力男命。
浅地神明社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-環境庁・富山県
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