高岡市山町筋

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山町筋(北陸道・商人町)
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【高岡市山町筋】−山町筋(富山県高岡市)は慶長14年(1609)、加賀藩初代藩主前田利長が隠居城として高岡城を築いた際に整備された町で、その際、越中国を縦断し加賀藩前田家の参勤交代でも利用した北陸道を引き込み商家町として高岡城下の経済的な中心地としました(当初は富山城が隠居城でしたが、火災により焼失した為、急遽高岡城が築城されました)。利長の町割により35の町が形成され、その中でも例祭で用いられる御所車(御車山)を与えた町を特に「山町」として重要視しました(山町10ヶ町:通町・御馬出町・守山町・木舟町・小馬出町・源平町・三番町・一番町・二番町・坂下町)。 慶長19年(1614)に利長が死去し、慶長20年(1615)に発令された一国一城令により高岡城が廃城になると重要性が失われましたが、加賀藩2代藩主前田利常は高岡城の跡地を奉行所や藩の御蔵を設けるなど再整備を行い、高岡の町を物資の集積場にする事で当地域の行政、経済の中心地としての重要性を維持させました。又、高岡城も幕府の報告としては奉行所ですが、密かに城郭として維持され前田利長の菩提寺である瑞龍寺は出城として機能するように計画されました。高岡は、加賀藩ではお膝元である金沢城(石川県金沢市)の城下に次ぐ商家町として繁栄しました。

明治33年(1900)の高岡大火により江戸時代に建てられた多くの町屋が焼失し大きな被害を受けると、一斉に当時としては防火、耐火建築である土蔵造りや煉瓦造りの建物が建てられ、現在、山町筋に見られる町並みが形成されていきました。これは、明治29年(1899)に富山県の県令である「建築制限規則」に基づくもので、特に北陸街道沿いの山町筋には豪商が屋敷を構えていた事から防火や耐火性能を加味しながら意匠的にも富んだ町屋や洋館が建てられました。現在でも菅野家住宅(国指定重文化財)や旧室崎家住宅(高岡市指定文化財)などの往時の建物が軒を連ねる町並みが残され、平成12年(2000)には「伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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