庄川の弁財天社(元雄神神社)概要: 庄川の弁財天社の創建は不詳ですが一説には安土桃山時代の天正13年(1585)、庄川が大洪水になった際、樹木が生い茂った小島が被害を最小限に留めた話を聞いた当時の領主前田利長(守山城→金沢城→富山城→高岡城の城主、前田家2代)が霊地と悟りこの地に弁財天を勧請したと伝えられています。
又、元々は雄神神社(式内社)があった場所とされ洪水の度被害を受けるので寛文3年(1663)の洪水を機会に東側の山裾に雄神神社を遷座した為、跡地に新たに弁財天を勧請したとも伝えられています。以来、弁財天社は庄川の水神として流域の住民から信仰され33年に1度行われる御開扉には10万人を越える参拝者が集まったそうです。庄川の弁財天社の境内一円は貴重な事から昭和62年(1987)に砺波市指定史跡に指定されています。
砺波市:神社・仏閣・再生リスト
庄川の弁財天社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-砺波市教育委員会
・ 現地案内板-庄川町教育委員会
・ 縁起碑
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