千光寺(砺波市)概要: 芹谷山千光寺は富山県砺波市芹谷に境内を構えている高野山真言宗の寺院です。千光寺の創建は大宝3年(703)、法道上人(天竺の高僧)が大陸から伝えられた聖観世音菩薩を祀ったのが始まりと伝えられています。
法道上人はインドの高僧又は仙人とされますが大陸から日本まで雲に乗ってきたなどの伝説が残され特に播磨国に縁の寺院が集中しています。当初は三輪宗の寺院でしたが衰退し弘法大師空海が再興、その後真言宗の寺院として寺運が隆盛し、文武天皇、元明天皇、元正天皇、桓武天皇、平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の7代の勅願所となり毎年勅使を迎え入れたそうです。
戦国時代の永禄年間(1558〜1570年)に上杉謙信(関東管領、越後国守護職、春日山城の城主)の越中侵攻の兵火にあい多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しましたが、その後は謙信から庇護され名刀を奉納し戦勝祈願が行われています。天正年間(1573〜1592年)、越中国(現在の富山県)を手中にした豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)は霊夢で千光寺の観音様から御告げがあり、前田利家に命じ息子である前田利長が境内の整備を行いました。江戸時代に入ると、加賀藩主前田家から祈願所として庇護され初代藩主前田利長(前田家2代)が寺領を寄進しています。
千光寺山門は寛政9年(1798)に建てられたもので、入母屋、本瓦葺、三間一戸、八脚二重楼門、棟梁は井波出身の柴田清右衛門が手懸けています。千光寺山門は江戸時代後期の楼門建築の遺構として貴重な事から附として山門棟札、山門棟上一巻覚帳と共に平成12年(2000)に砺波市指定文化財に指定されています。
千光寺観音堂は文政2年(1819)に建てられたもので複合入母屋造(入母屋の建物をT字型に組み合わせた形式)、銅板葺、桁行11.8m、梁間14.25m、正面唐破風向拝付、棟梁は井波出身の松井角平恒徳が手懸けています。千光寺観音堂は江戸時代後期の4御堂建築の遺構として貴重な事から昭和50年(1975)に砺波市指定文化財に指定されています。
越中一国三十三観音霊場第12番札所。北陸白寿観音霊場三十三札所第27番札所。北陸三十三観音霊場28番札所(御詠歌:絶えせぬや法の灯千光寺 暗き巷の後の世までも)。山号:芹谷山。宗派:高野山真言宗。本尊:聖観世音菩薩。
千光寺の文化財
・ 銅造観世音菩薩立像−白鳳期−像高39cm−富山県指定文化財
・ 絹本著色大威徳明王図−南北朝末期から室町初期−富山県指定文化財
・ 絹本著色両界曼荼羅図−鎌倉時代末期−富山県指定文化財
・ 千光寺観音堂(複合入母屋造り)−文政2年−砺波市指定有形文化財
・ 千光寺御幸門(瑞龍寺 から移築)−江戸初期−砺波市指定有形文化財
・ 千光寺山門(楼門・三間一戸)−寛政9年−砺波市指定有形文化財
・ 千光寺書院(棟梁:藤井助之丞)−明治29年−砺波市指定有形文化財
千光寺:上空画像
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