富山県の伝統的・町並み2

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項   目 場  所 備  考
・伏木 ・富山県
・高岡市
・伏木
高岡市伏木は古代越中国の中心だった町で国府(勝興寺境内)や国司館国分寺、越中国一宮である気多神社が設けられました。大伴家持が国司の際は周辺の名所を巡り、その時に詠んだ歌の多くが万葉集に記載されています。江戸時代に入ると高岡城の外港として整備され、加賀藩からは河西七浦、幕府からは重要港して指定された13港の1つとして数えられました。北前船の寄港地でもあり小矢部川舟運により流域から集められた年貢米が当地で積み替えられ京都や大坂に運ばれていきました。現在でも船問屋や良質な町並みが残され往時の雰囲気が残されています。
・吉久 ・富山県
・高岡市
・吉久
高岡市吉久は小矢部川と庄川の河口に位置し舟運の拠点、高岡城の城下町(高岡城の廃城後は商家町)と放生津(現在の富山県新湊市)を結ぶ放生津往来の宿場町として発展した町です。江戸時代は加賀藩領で、小矢部川と庄川流域で産出された年貢米や特産物は吉久に集められ、ここで荷物が積み替えられ、大坂や京都まで運ばていきました。加賀藩では吉久御蔵と呼ばれる藩の御蔵(間口4間、奥行30間)を6棟設置し、その管理運営の為に藩の役人(武士)を派遣していました。明治時代中期頃までは大きく繁栄しましたが、舟運や海運業が衰退すると衰微しました。川港や藩の施設などは取り壊されましたが現在でも街道沿いには能松家住宅有藤家住宅など良好な町屋建築が残され伝統ある町並みが形成されています。
・相倉 ・富山県
・南砺市
・五箇山
・相倉
相倉集落が何時頃に発生したのかは誰も解りませんが、記録的には五箇山平村下梨に境内を構える瑞願寺が所有している古文書に天文21年(1552)の項目に「相倉村」との記述があり、少なくとも室町時代には集落として成立していた事が窺えます。江戸時代に入ると加賀藩に属し、和紙や塩硝、養蚕などを主産業として次第に戸数や人口が増加しました。しかし、昭和初期に主要道から離れた事で急速な過疎化が進み衰微しました。現在も相倉集落には茅葺屋根の合掌造りと呼ばれる独特の形式を持つ古民家(明治時代から昭和初期)が数多く集落を形成しています。古くから信仰の場にもなった地主神社や相念寺(東方念仏道場)、西方念仏道場や街道、水路など集落景観が非常に良く残されている事から国指定史跡に指定され、国の重要伝統的建造物群保存地区とユネスコの世界遺産に選定されています。
・菅沼 ・富山県
・南砺市
・五箇山
・菅沼
菅沼集落は相倉集落と同様に五箇山を代表する茅葺合掌造り集落です。相倉集落と比べると小規模ですが江戸時代後期(2棟)から明治時代(6棟)に建てられた古民家を中心に9棟の合掌家屋が残されています。主産業も五箇山に存在する他の集落と同様に和紙や養蚕、塩硝の生産が盛んで、合掌造民家もそれに対応出来るように工夫されていました。菅沼集落は国指定史跡に指定され、国の重要伝統的建造物群保存地区とユネスコの世界遺産に選定されています。

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