五箇山: 相倉合掌集落

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概要・歴史・観光・見所
相倉合掌集落(五箇山)概要: 相倉合掌集落は富山県旧平村の22集落のひとつで現在21戸の農山村茅葺集落です。瑞願寺が所有している古文書に「相倉村」の名称が記載されたのが初見で、それによると天文21年(1552)に図書了観が念仏道場を構え蓮如上人真筆の御名号を奉拝したとあります。その図書家も平家落人の後裔とされる旧家で集落の上役として祭祀などを司り居宅は皇室関係者も利用するなど格式の高いものです。

江戸時代初期は121石と米の生産高が低かったものの加賀藩の火薬として使用される塩硝や和紙などが主要産業でした。その他にも焼畑で稗、粟、蕎麦などを自給し養蚕業が普及すると雪深い自然環境もあり合掌造りといわれる急勾配、切妻屋根、重層階といった独特な建築形式が発生し家屋の数も寛文年間(1661〜1673年)に15戸だったものが明治20年(1887)には53戸と発展しています。明治時代後期になると周辺の近代化により主産業が衰退し、それに伴って急速に過疎化、新規住宅の建築や主要交通網の整備などが行われなかったことで明治時代から昭和初期にかけての良好な景観が残されました。又、天狗岩など伝説も多く豊な生活が営まれていた事が窺えます。

合掌造りとは富山県の五箇山や岐阜県白川村などで見られる建築様式の1つで、屋根の形が人間が両手を合わせたような形状から名付けられています。合掌造りの大きな特徴は五箇山や白川村が豪雪地域だった為、屋根に雪が堆積しないように急勾配で、生業である煙硝と養蚕に適するように多層構造とし、大家族制度を支える為に大型化しています(長男夫婦だけが家督を継ぐ事が出来、次男以下は基本的に分家や結婚が認められず長男家族の労働力として従事、夜這いなども横行し結婚出来ない妹や娘も妊娠出産すると、子供は同じように労働力となった事で数十人の大家族が構成された)。

又、相倉集落内には大工棟梁など特殊技術者がいなかった事から修復などが住民でも出来るように比較的に簡易な構造をし、茅葺屋根を葺き替える際は数年前から準備し村人全員が参加して持ち回りで行うという仕組みがありました。明治時代中期までは五箇山の多くの集落は変わらない生活が営まれ多くの合掌造りの建物が残されていましたが、近代化が進むに連れ、養蚕や硝煙の衰退や大家族制度の崩壊、新建材、新技術の導入などで急速に失われ、過疎化は社会問題にもなりました。

相倉合掌集落には合掌造り住宅や伝統的な建物20数棟(概ね江戸時代末期から明治時代建築)の他、耕作地、水路、雪持林などの生活空間、相念寺(浄土真宗:東方道場)、西方道場、地主神社などの宗教施設が良好に残っており昭和45年(1970)に国指定史跡に指定され、平成6年(1994)にには名称「南砺市相倉」、種別「山村集落」、面積「18ha(集落部:南北約500m、東西約250m)」、選定基準「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され平成7年(1995)には「白川郷 五箇山の合掌造り集落」として「世界の文化及び自然遺産の保護に関する条約」に基づく世界遺産リストに登録されました。

相倉集落の構成要素は主屋(32棟)、便所(8棟)、板倉(6棟)、土蔵(12棟)、倉庫(2棟)、物置(1棟)、寺院(1棟:相念寺・東方念仏道場)、道場(1棟:西方念仏道場)、拝殿(1棟:地主神社)、本殿覆屋(1棟:地主神社)、本殿(1棟:地主神社)、社標(1件)、石橋(1件)、石鳥居(1件)、石狛犬(1対)、石灯籠(1対)、火葬場(1)、街道(1)、石垣(1)、水路(1)、林(2)、樹林(1)、岩(1)。

相倉合掌集落:写真

相倉合掌集落
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