越中国分寺跡(高岡市伏木)概要: 越中国分寺の創建年は不詳ですが天平14年(742)に聖武天皇の勅命により全国の各国に一寺づつ建立され国分寺の一つとして建立されたと推定されています。又、記録にも天平宝字3年(759)に「国分金光明寺田」と記載されており、国分寺の寺領と思われる土地が存在している事からも、これ以前から創建されていたと思われます。
越中国府(推定値)の北西、越中国一之宮気多神社の参道沿いに位置し往時は越中国の文化の中心の一翼を担い寺運も隆盛したと思われますが位置すら分からないようになっていました。
昭和11年(1936)に薬師堂境内(約200m四方)の発掘調査をしたところ、当時の国分寺で採用されていた奈良時代後期の単弁蓮花文系軒丸瓦(鐙瓦)と唐草文系軒平瓦などの古代瓦が多数発見された事から当地が越中国分寺の跡地と推定されました。又、境内にある僅かな土盛が国分寺の講堂又は金堂の基壇跡、隣接する墓地には塔の基壇と思われる地形があるそうです(約20m程、又、礎石とされる石を2個所有しているもの位置が分からず、基壇はあくまで推定地)。
薬師堂の創建は不詳ですが気多神社の別当寺院だった慶高寺の末寺とされ明治時代初頭に発令された神仏分離令で慶高寺が廃寺になった際、気多神社の本地仏で慶高寺の本尊だった木造文殊菩薩坐像(南北朝時代作、桧材、寄木造、玉眼、像高58.5cm:昭和40年富山県指定重要文化財)をはじめ、数多くの仏像が移され木造毘沙門天立像(鎌倉時代作、桧木材、寄木造、昭和48年高岡市指定文化財)、木造大日如来座像(昭和48年高岡市指定文化財)、天部像(2躯・弘仁年間:810〜824年作)、帝釈天像(弘仁年間:810〜824年作)などの寺宝を所有しています。
御堂は江戸時代に建立されたもので宝形造、桟瓦葺、正面1間向拝付。越中国分寺跡は大変貴重な事から昭和40年(1965)に富山県指定史跡に指定されています。越中一国三十三観音霊場第6番札所。宗派:高野山真言宗。本尊:薬師如来像。
越中国分寺跡:上空画像
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