日 付 | 名 称 場 所 | 内 容 |
・元禄2年 ・7月13日 | ・那古の浦
| ・市振宿を出立し越中国(富山県)に入国、黒部四十八が瀬とも呼ばれる数多くの黒部川の支流を越えて「那古の浦」に着、滑川宿の川瀬屋に宿泊。川瀬屋の当時の当主彦右衛門は滑川の俳壇(俳号:知十)で肝煎り。菩提寺である徳城寺には有磯塚が設けられた。
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・元禄2年 ・7月14日 | ・高岡城下 | ・滑川を出立し、本来ならば有磯海を見たいと思ったが、そこには距離がある上に、宿泊する所も無かった為、強行軍の末、疲労困憊となり高岡城下に至り、同地で宿泊しています。
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・元禄2年 ・7月15日 | ・倶利伽羅峠 | ・高岡城下を出立し、石動で埴生八幡宮(木曽義仲縁の神社)を参拝、倶利伽羅峠を越えて加賀国(石川県)に入り金沢城下に至り、同地の京屋吉兵衛方で宿泊しています。昨日の強行軍の疲れが取れず、目立った所には寄らず金沢に直進したと思われます。
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