富山県の伝統的・町並み1
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項 目
場 所
備 考
・岩瀬
・富山県
・富山市
・岩瀬
・岩瀬港(
富山市岩瀬
)は古くから良港として重要視され、室町時代に編纂された日本最古の海洋法規集「廻船式目」の中で日本にある重要港湾10箇所(三津七湊)が記載され、岩瀬はその1つに含まれていました。当初は現在より西側に位置し西岩瀬とも言われ、江戸時代には富山藩領だった為、
富山城
の外港として藩からも保護されていました。万治3年(1660)の大洪水により神通川の流れが大きく変わり、西岩瀬は大破しただけでなく拠点としての重要性を失った為、現在地である東岩瀬に改めて港湾を整備しました。当地は加賀藩の領内だった為、加賀藩から保護され、寛文2年(1662)には北陸道が引き込まれ宿場町としても整備され加賀藩主前田家の御旅屋や加賀藩御蔵なども設置されました。神通川舟運の拠点で北前船の寄港地でもあった為、流域の年貢米は岩瀬に集められ、ここから北前船に積み替え京都や大坂に運ばれていきました。現在でも東岩瀬には
森家住宅
(旧北前舟廻船問屋:国指定重要文化財)などの豪商建築や良質な町屋建築(富山県)などが軒を連ね当時の町並みが残されています。
・八尾
・富山県
・富山市
・八尾
・
富山市八尾町
は天文20年(1551)に現在地に境内を構えた桐野山
聞名寺
(浄土真宗本願寺派)の門前町として発生しました。江戸時代に入ると、日本海側と飛騨地方を結ぶ、飛騨街道(越中街道)と二ツ屋街道の両街道の起点となった事から富山藩最大の商業都市(市場町)として発展し富山藩三宿に数えられました。現在で八尾町には雰囲気のある町並みが残され、日本の道100選、残したい日本の音風景100選に選定されています。又、毎年行われる伝統行事である「おわら風の盆」はとやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)に選定されています。
・山町筋
・富山県
・高岡市
・御馬出町
・
山町筋
は慶長14年(1609)に富山城が焼失した事を受け、新たに
前田利長
の隠居城として築城された
高岡城
の城下町として整備された町で、北陸道を引き込んだ事で宿場町でもあります。高岡城が廃城になった後も加賀藩は重要拠点として重要視した為に武家屋敷(富山県)は廃れたものの商家町の町割が維持され引続き繁栄しました。明治33年(1900)の高岡大火によって大きな被害を受けましたが、再建時には当時の耐火、防火建築が求められた為、土蔵造や煉瓦造の袖壁を持つ独特の町屋建築が建てられました。現在も菅野家住宅(国指定重要文化財)など当時に建てられた町屋建築が町並みを形成し
国の重要伝統的建造物群保存地区
に選定されています。
・金屋町
・富山県
・高岡市
・金屋町
・
高岡市金屋町
も山町筋と同様に高岡城の城下町として町割された町です。築城者である前田利長は高岡の産業育成に尽力し、その一環として領内から鋳物師を集め鋳物町を町割し特別の保護を与えました。高岡城が廃城になった後も引続き保護された為、日本有数の鋳物の産地として発展しました。現在でも金屋町には旧南部鋳造所のキューポラと煙突(国登録有形文化財)や千本格子のある町屋建築、石畳などが残り、良好な町並みが見られる事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。又、例祭である御印祭はとやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)に選定されています。
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富山県の重伝建地区(五箇山菅沼・相倉合掌集落・高岡市山町筋・金屋町)
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富山県の伝統的・町並み(岩瀬・八尾・山町筋・金屋町)
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富山県の本堂
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建築物(国指定重要文化財)
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建築物(県指定有形文化財)
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