五箇山: 菅沼合掌集落

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概要・歴史・観光・見所
菅沼合掌集落(五箇山)概要: 菅沼合掌集落は旧上平村にある農山村茅葺集落で三方を庄川に囲まれ、もう一方は急斜面となる独立した地形にあります。山間地という土地柄もあり広い水田が得られず和紙や養蚕などが主産業で雪深い自然環境もあり合掌造りといわれる急勾配、切妻屋根、重層階といった独特な建築形式が発展しました。又、五箇山の産業の1つだった、鉄砲の火薬の原料である煙硝生産は菅沼集落でも行われており、合掌造りの主屋の囲炉裏の両側には溝が掘られ、煙硝の材料となる蚕の糞などを混ぜた土やヨモギ、人の尿などが堆積出来るような仕組みになっていました。明治維新後、塩硝の取引先だった加賀藩(藩庁:金沢城)は廃藩となり、さらに和紙や養蚕も輸入品や安価な大量生産品により衰微し昭和初期からは急速に過疎化が進みました。

その為、菅沼集落の大規模な近代化は行われず、建物の新築も伝統的なものを受継いだ為、明治時代から昭和初期にかけての良好な景観が保全されました。内訳は集落内の12棟の家屋の内9棟が合掌造りで、2棟が江戸時代末期(19世紀前期〜中期)、6棟が明治時代、1棟が大正14年(1952)に建てられたものが残されています(中でも五箇山民俗館は一般公開され五箇山や菅沼集落の民俗資料が展示されています)。又、火事での類焼を避ける為に付属舎である、土蔵や板倉は主屋が建てられている場所からは少し離れた所に建てられ、さらに離れた場所には鎮守社である神明社が鎮座しています。神明社はさらに高い位置に遷座していましたが、昭和45年(1970)の国道拡幅工事に伴い現在地に遷座し拝殿と本殿の覆屋はその際再建され、他の建造物は移築されています。

菅沼合掌集落は五箇山に残る数少ない合掌集落として大変貴重な存在で「交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡」の指定基準を満たしている事から昭和45年(1970)に国指定史跡に指定されています。さらに平成6年(1994)には名称「南砺市菅沼」、種別「山村集落」、面積「4.4ha(南北約230m、東西約240m)」、選定基準「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。菅沼集落の構成要素は建築物は主屋(12棟)、板倉(10棟)、土蔵(3棟)、水車小屋(1棟)、拝殿(1棟)、本殿覆屋(1棟)、工作物は石鳥居(1件)、石狛犬(1件)、環境物件は社叢(1件)、湧水池(1件)となっています。

さらに、平成7年(1995)には「合掌造り家屋は、豪雪地帯に合わせた建築様式で、日本の民家のなかでも独特の特徴をもつ家屋であること」、「合掌造り集落は、大家族制度や地域の生産体制に見合った土地利用の顕著な見本であること」との理由や「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例」、「ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例」との登録基準を満たしている事から「白川郷 五箇山の合掌造り集落」として「世界の文化及び自然遺産の保護に関する条約」に基づく世界遺産リストに登録されています。

【 五箇山 】−五箇山と飛騨の白川郷(岐阜県白川村)には茅葺屋根の合掌造りと言われる古民家が数多く残っています。しかし、現在残されているのは極僅かに過ぎず、五箇山を構成していた旧上平村、旧平村、旧利賀村には70にのぼる集落があり1千5百棟以上の合掌造りの建物が存在していました。明治時代中期以降、急激な近代化と社会情勢の変化により多くの若者が五箇山から離れ、茅葺合掌造りの民家も快適で維持し易い近代建材を用いた建物へと変化し、さらに、集落維持に必要な相互扶助制度(ユイ・コーリャク)も希薄になりました。現在、五箇山で集落単位で残されている残されているものは相倉集落(42ヘクタール)と菅沼集落(14.5ヘクタール)だけになってしまいました。両集落は大変貴重な事から国指定史跡に指定、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定、ユネスコによる世界遺産に登録されています。

【 五箇山民俗館 】−五箇山民俗館は明治時代に建てられたもので木造2階建、入母屋、茅葺、妻入、合掌造り、外壁は板張り。間取りは正面から「カマバ(土間)」、「ニワ(土間)」、「マヤ(土間)」、「デエ(板間・囲炉裏付)」、「オエ(板間)」、「コザシキ(畳敷8帖)」、「ザシキ(板間)」。現在は五箇山民俗館として一般公開され、主産業だった養蚕や、農業、林業などの道具や生活用具、約200点が展示、収蔵されています。合掌造りは主に富山県の五箇山地区と、岐阜県の白川郷(白川村)に見られる建築工法で、豪雪、強風という自然的な要因と、大家族制度や養蚕、塩硝生産といった社会的な要因、他地域と隔絶されていた為、大工集団との交流が少なく自分達で維持管理しなければならいという地理的要因などが原因と思われます。

菅沼合掌集落:写真

菅沼集落の高台からの鳥瞰画像
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