前田正甫

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前田正甫(富山城)
【 菩提者 】 前田正甫は慶安2年(1649)、富山藩初代藩主前田利次の次男として生まれました。延宝2年(1674)に利次が死去すると兄である千勝丸が早世していた為正甫が26歳で2代藩主を就任しました。前藩政は延宝3年(1675)の富山大火災に始まり、度重なる天災、さらには元和元年(1681)、高田藩松平光長の改易に伴い高田城(新潟県上越市)の接収の任を担うなど財政が逼迫しました。又、加賀藩の支藩という立場だった事から加賀藩の天下り的な家臣を数多く押し付けられ、藩の石高に対し過分の藩士を抱える事になり慢性的な財政不安を抱えました。

前田正甫はそれらを打開する為、新田開発や殖産興業に尽力し新たに製鉄業や蚕種、和紙製造、製薬業などを起しました。特に製薬業には力を入れ、岡山藩の医師万代常閑から「反魂丹」という妙薬の製造法を学ぶと、正甫は薬種商・松井屋源右衛門の邸宅に度々訪れ調合の研究を重ね生産体制を確立すると源右衛門に命じ全国に販路を広げさせました。さらに、薬製造を農民達の冬場の副収入の糧とし、諸大名に許可を得て他藩でも薬商が自由に活動出来るようにしました。前田正甫は自ら「越中富山反魂胆」という文字を書き込んだ薬袋も制作し今で言うブランド化に成功し富山の薬が一気に全国区で知られるようになりました(ある時、江戸城内で三春藩主秋田某が腹痛を起こし苦しんでいたところ、正甫がとっさに与えた「反魂丹」が余りにも効いた為、それを目の当たりにした諸大名がこぞって「反魂丹」を求めたという逸話が残されています)。

前田正甫は元禄3年(1690)に日枝神社に神輿2基を寄進、元禄6年(1693)に若宮八幡社を創建、宝永元年(1704)には豊栄稲荷神社を創建しています。又、鹿島神社を崇敬し、富山城から見ると南西方向で生誕地である近藤善右衛門長房の下屋敷に遷座、裏鬼門鎮守として篤く庇護しています。

宝永3年(1706)死去、享年58歳、戒名「正甫院殿天心日管大居士」、家督は2男前田利興が跡を継いでいます。初代利次は曹洞宗だった為、光厳寺が菩提寺となりましたが、正甫は日蓮宗を篤く帰依していた事もあり日蓮宗の寺院である大法寺(富山市)が菩提寺となりました。この事により歴代富山藩前田家は1代毎に光厳寺(富山市)と大法寺が交代で菩提寺となりました。遺骸は何れも利次縁の地、長岡御廟(富山市)に葬られています。又、前田利次、10代藩主前田利保と共に於保多神社に祭られています。

【 寺  号 】 大法寺
【 所在地 】 富山県富山市梅沢町
【 創建年 】 慶長11年(1606)
【 開  山 】 照盛院日行上人
【 開  基 】
【 山  号 】 海秀山
【 宗  派 】 日蓮宗
【 本  尊 】 日蓮聖人奠定の大曼荼羅
【 備  考 】 9代藩主前田利幹が富山城内に建立した管神祠
6代藩主前田利與が寄進した梵鐘
富山県大名菩提寺
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