【 概 要 】−伝承によると平安の昔、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が琵琶湖に住む大ムカデを退治して湖主である龍神(龍女)から水を呼び込む不思議な御守(龍神の子)を授かりました。ある時、秀郷が城端の地(南砺市)を訪ねると大変な旱魃で多くの人達が食べ物に困り飢え死にしていました。秀郷は龍神から授かった御守を思い出し、近くにある高清水山(標高:830m)の中にあった霊地と思われる小さな穴に御守を入れ周囲2キロに渡り霊縄を張り天に祈ると、そこから淡々と水が湧き出し一晩の内に縄に沿った大きな池が出現しました。城端の人達はこの池の水の御蔭で助かり何時しか縄ヶ池と呼ばれるようになりました。力を使い果たした秀郷は弱り果て小杉の地で倒れると蓮王寺(射水市)で養生しましたが回復せず当寺で死去し、境内に葬られたと伝えられています。
蓮王寺の境内に建立されている室町時代の五輪塔が藤原秀郷の墓とされ江戸時代に編纂された文献にもその旨が記載されています。又、縄ヶ池の近くにある井口村には昔大きな池があり池の主である龍女と村人である市平が恋仲となり、生まれたのが俵藤太とされ、藤太が7〜8歳の時母親に会いたくて池に近付くと龍女が現れ、藤太は何時も一緒にいたいからといって小さく姿を変えてもらうと、一口で龍女を食べてしまったと伝えられています。井口村は何時しか蛇喰村と呼ばれるようになったそうです。蓮王寺境内に建立されている伝:藤原秀郷(俵藤太)の墓は射水市指定史跡に指定されています。
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