聞名寺(富山市八尾町)概要: 桐野山聞名寺は富山県富山市八尾町今町に境内を構えている浄土真宗本願寺派の寺院です。聞名寺の創建は正応3年(1290)願智坊覚淳(本願寺3世覚如の弟子)が開山したのが始まりと伝えられています。
当初は美濃国各務郡平島村にありましたが元亨3年(1323)に飛騨小坂(落合)、さらに神岡の吉田、応仁2年(1468)に5代覚玄により婦負郡土村に移され、延徳4年(1492)に飛騨高原郷、天文20年(1551)に現在地に移っています。聞名寺は実に11回移動を繰り返し(不詳なものが多い)飛騨、越中に大きな影響力を与えました。
戦国時代は領主で城生城の城主である斎藤氏が庇護し、永禄6年(1563)には寺領が寄進され寺運も隆盛しますが天正11年(1583)に佐々成政の侵攻により城生城は落城し、その兵火により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しています。
天正13年(1585)、佐々成政が豊臣秀吉に敗れると聞名寺は秀吉によって援助、再興され、前田利長が富山城主になると引き続き庇護しています。
おわら風の盆祭りと所縁が深い聞名寺の本堂
江戸時代に入ると富山藩前田家から庇護され、境内周囲には4筋の門前町を建設し八尾町の原形を作り出し、越中では勝興寺(高岡市伏木)、瑞泉寺(南砺市井波町)、善徳寺(南砺市城端町)、聞名寺(富山市八尾町)が本山直属の4大寺院として名を馳せました。
現在の聞名寺本堂は文化9年(1812)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行10軒、正面3間向拝付、棟梁は京都出身の名匠柴田新八郎貞英と井波(南砺市井波町)出身の名工松井角平が携わった傑作とされ総欅造りの豪壮な作風は、本願寺様式建築の代表と称され、椿図浅彫欄間(6枚)が昭和41年(1966)に富山市指定文化財(彫刻)に指定されています。
寺宝である古文書(95点)は神保、斎藤一(寺領寄進状)、豊臣秀吉(朱印状)、前田利長(礼状)、金森氏など歴代領主や有力者との関係を示すものが多く、当地方の歴史を示す資料的な価値が高いことから昭和40年(1965)に富山県指定文化財に13点が昭和36年(1961)に富山市指定文化財に指定されています。山号:桐野山。宗派:浄土真宗本願寺派。本尊:阿弥陀如来。
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