宿場回廊12・徳城寺(滑川市)概要: 徳城寺の創建は不詳ですが室町時代に開かれたものが始まりとされます。当初は土肥氏の縁の寺院として弓庄城(上市町)城下にありましたが、天正10年(1582)に発生した本能寺の変で織田信長が討たれると当時の城主土肥政繁は織田家を見限り上杉家に従った為、天正11年(1583)、信長の旧臣佐々成政(富山城の城主)の攻撃を受け弓庄城は落城、土肥氏は上杉氏を頼って越後に落ち延び、徳城寺は滑川に移りました。江戸時代に入ると北国街道(北陸道)沿いの荒町にあり町の肝煎りで旅籠を営んでいた川瀬屋の菩提寺として庇護されていました。明治13年(1880)に四間町(享和年間:1801〜1803年に人家が4軒しか無かった事に由来)の旧加賀藩給人蔵跡地に移っています。
徳城寺境内にある芭蕉句碑(有磯塚)は元禄2年(1689)に奥の細道行脚で当地を訪れた松尾芭蕉と随行した曾良が泊まったとされる川瀬屋の後裔である七代目当主彦右衛門(川瀬知十)らが芭蕉70回忌を追善し明和元年(1764)にを寄進したもので当地で芭蕉が詠ったとされる「早稲の香や分け入る右は有磯海」が刻み込まれています。又、隣には天明3年(1783年)、知十の十三回忌の追善供養として寄進された知十塚が建立されています。
徳城寺は寺宝が多く室町時代中期に製作された絹本著色釈迦三尊(三幅図:中尊:釈迦如来像・左脇侍:文殊菩薩・右脇侍:普賢菩薩)、室町時代中期以前に製作された梵鐘、芭蕉句碑(有磯塚)、一里塚(史跡)が滑川市指定文化財に指定されています。越中一国観音霊場第30番札所。呉東新西国三十三所第8番札所。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。
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