宿場回廊10・晒屋(滑川市)概要: 晒屋の名称は、滑川宿の中央を流れる中川の清らかな水の流れを利用して、綿布や麻布を水面にさらす「晒屋」(さらしや)の職人がいたことが由来すると云われています。江戸時代に入ると新川木綿は新川地方の特産品として発展し特に江戸時代後期から明治時代初期が最盛期で大量の綿が移出されています。
滑川でも新川木綿が生産され、それに係わる綿屋、木綿の商売、染物屋が発展しました。明治時代に入ると周辺の橋場や瀬羽町と共に急速に発展し商店街が形成されました。
大正7年(1918)には米騒動の舞台にもなり下小泉町の米穀商金川宗左衛門方では押し問答が繰り返され総勢2000人とされる群集で膨れ上がり全国的にも注目されました。鎮守である下小泉八坂神社は、江戸時代後期の天保13年(1842)寺家村から分霊を勧請しもので、拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、正面1間向拝付。本殿は一間社流造、銅板葺。
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