宿場回廊7・滑川本陣跡(滑川市)概要: 大町は滑川宿の中心だった町で、文治2年(1186)に堀江荘(京都八坂神社の荘園)が成立した時に存在していた滑河村はその前身だったと推定されています。南北時代には「高月滑川の要害」が設けられ、その後身と思われる滑川城は戦国時代の永正2年(1505)、城主府久呂兼久(藤右衛門、多飯地式部)が長尾能景(越後国守護代、上杉謙信の祖父)の侵攻により落城しています。その後は町も拡張し狭町(現在の瀬羽町)が成立し町並みも形成されていたとされます。
江戸時代に入ると北国街道(北陸道)が開削され慶長20年(1615)には宿場町である滑川宿が整備され大町には主要機関である本陣(御旅屋)、問屋場などを設置し町の中心として大きく発展しました。本陣には桐沢家(綿屋2代九郎兵衛)が指名され居宅は前田家が参勤交代で滑川宿を通過する際、宿泊や休息で利用されました。本陣の敷地は6000uに及び敷地内には格式ある建物が建てられ、天保9年(1838)まで約200年余り桐沢家が「綿屋」を世襲し本陣を勤めました。現在は建物遺構は無く、敷地の一部が本陣遊園地となっています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-滑川市教育委員会
・ 現地案内板-滑川市
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