宿場回廊4・神明町(滑川市)概要: 北国街道(北陸道)の宿場町であった滑川宿の東端にある町で、柳原村にあった櫟原神社(延長5年:927年に編纂された延喜式神名帳に記載された式内社)が江戸時代にこの地に遷座され神明社と称したことから神明町と呼ばれるようになりました。金毘羅社の常夜灯は文化12年(1815)に川瀬屋によって寄進された高さ3.55mの石灯籠で道しるべや灯台を兼ねた献灯施設だったされ滑川市指定文化財に指定されています。川瀬屋は町の肝煎を務めた家柄で旅籠も兼ねていた為、元禄2年(1689)には松尾芭蕉と弟子である曾良が宿泊し、菩提寺である徳城寺に「早稲の香や分け入る右は有磯梅」の句碑を建立しています。
櫟原神社境内にある安政2年(1855)に建立された芭蕉句碑は滑川の俳人である孤松庵如青・迎月亭東邱・閑時庵呉橋・時雨斉六窓の4人が寄進し金沢卓丈の筆、当初久兵衛が製作したもので「しばらくは花のうへなる月夜かな」が刻み込まれています。この句は元禄4年(1691)に松尾芭蕉がによって詠まれています。
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