宿場回廊3・常磐町(滑川市)概要: 常磐町は天保年間(1830〜1844年)には"新屋敷"と呼ばれていてた地域で、江戸時代北国街道(北陸道)の宿場町として栄えた滑川宿東端にあった神明町が宿場の発展に伴い東側に肥大化し明治時代に常磐町に改められています。江戸時代末期の万延元年(1860)に称永寺がこの地に移ると門前町が形成され茶屋が軒を連ねるなど大いに賑ったと言われています。称永寺は真宗大谷派の寺院で当初は大町の海岸近くにあった為、「浜の御坊」の別称があり本尊は阿弥陀如来、寺宝として蜷川観月(称永寺11世恵浄三男恵遵:徳妙・江戸後期の絵師岸岱に師事)が描いた「岩上の虎」を所有しています。東端にある石碑群の中には青山百爾の句碑が建立され「 みておればおはれか々るや夜の花 」と刻まれています。青山百爾は江戸時代後期の俳人で、当時の滑川の俳壇の中心人物だった事から、百爾が死去すると、門弟が深く悲しみ21名の浄財をもって句碑が建立されています。又、常磐町一帯は戦国時代、「和田の浜の戦い」が行われたとされ「和田の浜古戦場碑」が建立されています。
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