宿場回廊5・鍛治屋橋と中町(滑川市)概要: 中町は江戸時代以前は人家もない寂しい土地でしたが延宝年間(1673〜1681年)に大町の錦屋九郎右衛門から分家した七兵衛が当地で酒造業を営んだ事から開発が進み新町(荒町)と神明町の間にあった事から中町と名付けられました。慶長年間(1596〜1615年)には神明町の境付近に加賀藩から地子除けの地(免税地)とされた鍛冶屋敷が設けられ、さらに東側には藩の御蔵所があった為、それらを結ぶ橋が架けられ何時しか鍛治屋橋と呼ばれるようになっています。
又、中町には天正10年(1582)に現在地に移ってきた長福寺(宗派:日蓮宗)や元禄年間(1688〜1704年)に綿屋九郎兵衛によって再興された無縁寺(宗派:浄土宗・本尊:阿弥陀如来)などがあり、竹中禎三郎家では明治11年(1878)の明治天皇の北陸巡幸に際に御休憩所として利用されています。江戸時代後期の天保元年(1830)には67戸だった戸数も最盛期の昭和5年(1920)には100戸まで発展し、平成元年(1989)には49戸となり衰微しています。
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