宿場回廊9・瀬羽町(滑川市)概要: 瀬羽町は16世紀後期頃に発生し元々は狭町と称し今より海側にあった町でしたが度々波害などに悩まされ江戸時代初期の寛永6年(1629)に現在地に移りました。北国街道(北陸道)はこの町で大きく鉤形になっているのは、町が移ってきて為で当時の名残が見られます。
又、瀬羽町は船着場や物資の集積場として発展した橋場に隣接していた為、多くの商家が集まる商人町として知られ江戸時代後期の文化10年(1813)には251軒の商家で軒を連ねていたとされ、醸造業者(神田屋:城戸家住宅・国登録有形文化財)なども見受けられました。
旧宮崎酒造は江戸時代後期に養照寺と交代で加賀藩の本陣を務めた小泉家の屋敷を明治8年(1875)に買い取り酒造業を営んだ家柄で、主屋は江戸時代末期の慶応2年(1866)の火災直後に再建された建物です。その後、改修、改造、増築がされましたが、近年最盛期だった明治時代の外観に復元され平成22年(2010)に店舗兼住宅、酒蔵(明治時代中期建築)、麹蔵(明治時代中期建築)、衣装蔵(明治時代建築)の4棟が国登録有形文化財に登録され、町並みに異彩を放っています。
町の西側には加賀藩主前田家の脇本陣で天保13年(1842)から幕末まで小泉家と交代で本陣を務めた養照寺があり本堂には藩主が利用した上段の間が残され滑川市指定文化財に指定されています。さらに町外れには立山の登拝道の交差路があり道標が建立されています。明治時代に入ると銀行や米問屋なども出店し最盛期の昭和初期には「滑川銀座通り」との異名を持ちました。
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