境一里塚(朝日町)概要: 境一里塚は北国街道(北陸道)の境宿の東端に位置する一里塚で加賀藩としても領内最東端に位置します。一里塚は、慶長9年(1604)に幕府の命により江戸日本橋を起点として1里(36町=約4キロ)毎に設けられたもので、旅人や運送業に携わった人達がどの位の行程を進んだかの目安として重宝され目に付き易いように土盛され頂上部には大木が植えられていました。境一里塚が何時頃に設置されたのかは判りませんが、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで東軍に与した前田利長がその功により120万石で加賀藩を立藩した際、当地も加賀藩領に組み込まれている為、領内の北国街道(北陸道)が加賀藩によって整備された比較的早い段階で築かれたと思われます。
特に、慶長14年(1619)には境関所が開設し宿場町も整備されている事から、その郊外にある境一里塚も整備の対象になったと思われます。境一里塚は5間(約9m)4方の規模で上部には"えのき"が植えられ当時に街道の両側に対になっていましたが明治時代の国道改良工事に伴い南側の塚が取り壊され北側のみ残されています。
又、塚には村落の村境や道路の境界線などに祭られている青面金銅の石仏が安置されている事から、ここを通過する旅人が手を合わせたのかも知れません。境一里塚は富山県内において当時のままの姿で残る数少ない一里塚の1つで貴重である事から昭和40年(1965)に富山県指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-富山県教育委員会・朝日町教育委員会
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