八尾坂(富山市)概要: 案内板によると「 城ヶ山はむかし龍幡山(りゅうばさん)といわれていたがその後、諏訪左近という武将が城をかまえたので城ヶ山とよぶようになった。慶応2年に富山藩主が当町の若い人たちを集めて軍隊の訓練を教えたので調練場(ちょうれんば)と人がよんでいた。明治29年に町の人たちの勤労奉仕で公園に改造せられ、たくさんの松やさくらが植えられて以来立派な公園としての資格を備えることができた。」とあります。諏訪左近は南北朝時代の北朝方の武将で、正和4年(1315)に南朝方の八尾別当顕幸に攻められ落城しています。近くには左近が手植えしたと伝わる大ケヤキがあった諏訪社が鎮座しています。
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