富山市(岩瀬湊): 旧馬場家住宅

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富山市(岩瀬湊)・旧馬場家住宅
【 岩瀬湊 】−岩瀬湊は神通川が日本海に注ぐ河口部に位置し、当初は神通川の西側にあり日本有数の良港として室町時代には「三津七湊」に数えられました。江戸時代当初は富山藩に属し富山城の外港として機能していましたが、万治3年(1660)の神通川の氾濫により河口の位置が大きく変わり、加賀藩に属する東側に湊町を再建しました。東岩瀬湊には北国街道(北陸道)を引き込んだ為、宿場町の機能も備え、上流域の年貢米や特産物を集積し北前舟により上方に運ばれていきました。経済的にも大きく発展し、廻船問屋が軒を連ね、加賀藩主前田家が参勤交代時に利用する御旅所や、複数棟の藩蔵が設けられました。江戸時代後期になると多種多様な職業や商売する人々が集まり活況を呈し加賀河東七浦の一つに数えられました。現在でも森家住宅など大型町屋建築が点在し当時の町並みが残されています。

【 旧馬場家住宅 】−旧馬場家住宅は富山県富山市東岩瀬町に位置する町屋建築で、明治6年(1873)の大火で焼失し再建されました。馬場家は、廻船業を生業とした豪商で屋号「道正屋」を掲げ「久兵衛」を代々名乗りました。特に明治時代には北前船に代わる近代船にも対応し「北陸の北前五大船主」の一人に数えられました。多くの政治家を輩出するだけでなく文化事業や公共事業にも尽力し「馬場記念公園」には馬場家に嫁いだはるの像が建立されています。主屋は木造2階建て、切妻、桟瓦葺き、平入、建築面積512u、東岩瀬に残る最大級の町屋建築です。前蔵は土造3階建て、切妻、桟瓦葺き、白漆喰仕上げ、建築面積47u。壱番蔵及び弐番蔵は土造3階建て、切妻、桟瓦葺き、白漆喰仕上げ(腰壁:布石積洗出仕上げ)、建築面積157u。米蔵は土蔵造平屋建、切妻、桟瓦葺、桁行8間、張間7間、建築面積267u。主屋と前蔵は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、壱番蔵及び弐番蔵と米蔵は「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成28年(2016)に国登録有形文化財に登録されています。

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