南砺市(福光): 専四郎家住宅

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南砺市(福光)・専四郎家住宅
【 南砺市(福光) 】−福光は古くから交通の要衝として知られ古代の官道である北陸道の経路上にあり、江戸時代には加賀藩の本城のある金沢城下と五箇山を結ぶ五箇山街道の宿場町でもありました。加賀藩は福光の周辺と上流域(五箇山地方など)の年貢米や特産物の集積場として整備した為、藩の御蔵などが設置されました。又、福光周辺は生糸の一大生産地だった事から、それを扱う豪商を数多く輩出し経済的にも発展しました。現在でも町屋建築が点在しており、当時の繁栄が垣間見えます。

【 専四郎家住宅 】専四郎家住宅は案内板によると「 福光新町に残る明治以前の建築4戸のうち寛政の福光大火直後、約200年前に建てられた町家です。明治20年頃まで屋敷の主であった油屋与三郎は油・布・酒などを商った町内きっての豪商でした。明治以後は政治家松村謙三の叔父にあたる松村専四郎が隣接の富山貯蓄銀行支店長のかたわら小作米を収納する米券倉庫業と生命保険代理店を営んでいました。昭和4年の統計では福光町内に4社あった米券倉庫業のなかでも約2万石と圧倒的な小作米の収納力を誇っていました。内部には米の品質検査を行うための石敷きホール「はかり場」のほか、オイの間(帳場)、流し場、便所、洗い場、二番蔵などが旧観のまま残っています。」とあります。

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