【 北陸道 】−北国街道と北陸道の定義については諸説あるようですが、当サイトでは、北国街道を中山道追分宿(長野県北佐久郡軽井沢町追分)から直江津湊(新潟県上越市直江津:厳密には直江津湊手前の分岐点)と中山道鳥居本宿(滋賀県彦根市鳥居本町)から今庄宿(福井県南条郡南越前町今庄)まで、一方、北陸道を直江津湊(厳密には直江津湊手前の分岐点)から今庄宿までとします。よって滑川宿は北陸道の宿場町と定義します。
【 滑川宿 】−滑川は中世には既に成立していたようですが、街道沿いの寒村に過ぎなかったようです。戦国時代の永正年間(1504〜1521年)頃に滑川大町が本格的に整備され、その後、狭町(現瀬羽町)が拡張されました。江戸時代に入ると加賀藩領に属し、北陸道の整備に伴い宿場町(滑川宿)に指定され藩主が参勤交代で宿泊や休息で利用する御旅所(後の本陣)や問屋が設置され、町も発展に伴い荒町(新町)、中町、神明町が随時町割りされていきました。交通の要衝でもあった事から物資の集積場にもなり、上流域の年貢米や特産物が集められ多くの豪商を輩出するようになり、江戸時代中期以降は売薬の一大拠点となりました。現在でも北陸道の街道沿いには伝統的な町屋建築が点在し、良好な町並みを見る事が出来ます。
【 小沢家住宅 】−小沢家住宅は富山県滑川市荒町に位置する町屋建築で、明治時代に呉服商を生業とし、小沢家3代万治により現在の建物が明治15年(1882)に建てられました。屋根の棟には雪割瓦と呼ばれる先端が鋭く、文字通り棟に雪が積もらないような雪国独特の仕様となっています。現在の滑川宿は土造の店蔵が少ない事からも小沢家住宅の店蔵は貴重な存在です。国登録有形文化財。
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