片掛銀山跡(神通峡・富山市)概要: 片掛銀山は安土桃山時代の天正年間(1573〜1593年)に発見された銀山で、片掛・庵谷・吉野銀山の3つの銀山を合わせると最盛期には神通峡の飛騨街道沿いに100杭ほどが稼動し鉱石の採掘から銀の精錬までを行っていました。伝承によると高山城(岐阜県高山市)の城主金森長近に従い金山奉行に抜擢された茂住宗貞(糸屋彦次郎)によって発見されたと伝えられています。神通峡の右側には加賀藩(藩庁:金沢城)が管理した吉野銀山、左側には富山藩(藩庁:富山城)が管理する庵谷・片掛銀山があり、特に江戸時代初期に最盛期を迎え、富山藩の財政にとって大きな割合を占めた為重要視されました。19世紀末に衰退しましたが昭和初期まで採掘が試みられ現在でも40近くの抗口が開いているとされます。大淵寺(曹洞宗:軸装般若十六善神絵像は富山市指定文化財)の山門前に建立されている六地蔵は片掛銀山の工夫が採掘安全を祈願する為に見晴らしの良い峠に建てられていましたが、銀山が廃坑となり昭和58年(1983)に現在に移されています。
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