猿倉城(神通峡・富山市)概要: 猿倉城は富山県富山市舟倉に位置する城郭です。猿倉城の築城年は不詳ですが戦国時代の永禄年中(1558〜1570年)は飛騨の国人領主塩屋秋貞が城主だったとされ、元亀2年(1571)には城の普請工事を行ったと記録されています。天正年間(1573〜1593年)に塩屋氏の家臣と思われる島村丑之助が猿倉城に立て籠もり上杉方の村田大炊助と戦い敗れています。
天正11年(1583)に一時塩屋氏が奪取しますが上杉景勝(春日山城の城主)により再度敗退し、その後、姉小路自綱(姉小路頼綱:飛騨国司、飛騨松倉城の城主)が支配しますが天正13年(1585)に富山の役の際、、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に従った金森長近により攻められ落城したと言われています。
その後に猿倉城が資料に出てくる事が無くなった為、廃城になったと思われます。猿倉城は標高342mの猿倉山の山頂付近に築かれた中世の山城で、眼下に神通川が見下ろし、神通川沿いには越中国(現在と富山県)と飛騨国(現在の岐阜県)を結ぶ街道が通っていた事から、交通の要衝を押さえる意味でも重要視されました。おそらく郭だったと思われる頂上部の平場があるものの、目立った土塁や空堀などの遺構は残されていません。
猿倉城:上空画像
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