姉倉比売神社(神通峡・富山市)概要: 姉倉比売神社は富山県富山市舟倉に鎮座している神社です。姉倉比売神社の創建は不詳ですが古事記・日本書紀によると紀元前30年頃に姉倉比売がこの地を統一し農耕と養蚕を広め住民から尊崇された存在だったようです。
又、姉倉比売神は能登の伊須流伎比古神(伊流岐比古神社:石川県中能登町)と夫婦でしたが伊須流伎比古は能登比売(能登比売神社)と浮気をいてしまい、嫉妬に狂った姉倉比売神と能登比売神社が交戦状態となり越中国中が大乱になったとされ、乱が鎮圧されると姉倉比売神社は乱を起こした張本人として呉羽小竹に流され、土地の女性たちに機織を教えるよう命じられたとされ、富山市内には舟倉と呉羽小竹の両方に姉倉比売神社があるのはその為とも伝わっています。
姉倉比売神社は平安時代の延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている所謂「式内社」で、最盛期には下社5社を擁し(別当寺院の帝龍寺は360坊余)、社領3千石を有する大社でしたが応永年間(1394〜1428年)の兵火により社殿、記録、社宝とも焼失し、これ以前の由緒を失っています。
姉倉比売神社は古くから神仏混合の形式を保ち、別当寺院として帝龍寺が祭祀を司り、仏教色の強い「船倉権現」や「舟倉明神」などと呼ばれてきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により帝龍寺とは分離し明治40年(1907)に村社に列しています。
現在でも神仏習合の名残が残され帝龍寺に秘仏として祭られている旧本地仏の虚空蔵菩薩像が33年に1度、姉倉比売神社に遷され御開帳になります。境内には聖地化され殆ど人の手が入っていない自然が残され"寺家アカガシ叢林"として昭和42年(1967)に富山県指定天然記念物に指定されています。祭神:姉倉比売神。
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