不動の茶屋(倶利伽羅峠)概要: 不動の茶屋は倶利伽羅峠(越中国と加賀国の国境、北国街道沿いにある峠)の峠の茶屋として繁昌したと言われ、 江戸時代中期の文政11年(1828)に十返舎一九(江戸時代後期の戯作者、絵師)が慣行した「越中道中ひざくり毛(越中立山参詣旅行方言修行金草鞋)」の中で"商いに利生ぞあらん 倶利伽羅の不動の前の茶屋の賑わひ"の句を残しています。十返舎一九は日本海側の親不知から越中国(現在の富山県)に入り、立山を登拝した後に氷見や和倉温泉まで足を延ばし、石動から加賀国(現在の石川県)に入る際に倶利伽羅峠を通過し、古戦場の見学や不動尊を参拝しています。名称の由来となった倶利伽羅峠にあった長楽寺の本尊不動尊は信仰の対象となり多くの人が参拝に訪れ茶屋も賑ったようです。現在、建物などの遺構は無く、句碑や石碑、案内板が建立されています。
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