葵塚(倶利伽羅峠)概要: 葵塚は倶利伽羅峠(越中国と加賀国の国境、北国街道沿いにある峠)に位置しています。葵塚の碑文には「 葵は寿永二年五月砺波山の戦に討死す屍を此の地に埋め墳を築かしむ 」と記されているようです。葵は木曽義仲の愛妾の1人と言われる人物(実在したかは不明)で巴などと共に女性でありながら武将として活躍し、倶利伽羅峠の戦いで討死したと言われています。巴とは仲が良かったとされ、巴の死に際には、葵の墓の近くに埋葬して欲しいとの遺言があり、「葵塚」の近くに「巴塚」が建立されたとも云われています。基本的に歴史的な資料に出てくるような人物ではなかった為史跡も少なく、群馬県藤岡市道中郷にある葵八幡宮が葵御前を祭った社とも、牛伏塚は葵御前を乗せた牛を弔ったものと伝えられています。一方、巴御前は全国に多くの縁の地が点在している事から古くから著名な存在だった事が窺えます(実在したかは不明ですが)。
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