巴塚(倶利伽羅峠)概要: 巴塚は倶利伽羅峠(越中国と加賀国の国境、北国街道沿いにある峠)に位置しています。案内板によると「 〜碑文〜"巴は義仲に従い源平砺波山の戦の部将となる 晩年尼となり越中に来り九十一歳にて死す" 〜由来〜"源平合戦の後、和田義盛と再婚した巴御前は豪勇を誇った朝日奈三郎義秀を生んだが、その後未亡人となり、後生を福光城主の石黒氏に託した。石黒氏とは共に倶利伽羅合戦において平軍を攻めた親しい間柄であった。尼となり兼生と称し宝治元年10月22日没し石黒氏が此の地に巴葵寺を建立したと伝えられている。" 小矢部市 」とあります。巴御前は中原兼遠の娘で樋口兼光と今井兼平の妹、源義仲(木曽義仲)の愛妾とされる人物で"平家物語"では「木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女を具せられたり。山吹はいたはりあって、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者なり」、"源平盛衰記"では「木曾殿の御乳母に、中三権頭が娘巴といふ女なり。強弓の手練れ、荒馬乗りの上手。乳母子ながら妾にして、内には童を仕ふ様にもてなし、軍には一方の大将軍して、更に不覚の名を取らず。今井・樋口と兄弟にて、怖ろしき者にて候」と記されています。
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