高瀬神社(南砺市)概要: 高瀬神社は富山県南砺市高瀬に鎮座している神社です。高瀬神社の創建は不詳ですが、伝承によると神代の昔、大己貴命が北陸地方の開発を完遂し出雲国(現在の島根県)に帰還する際に自らの御魂を祭ったとも、景行天皇11年(日本書紀を信じれば西暦81年)に勧請されたのが始まりとも伝えられています。
古くから中央にも知られた存在で、平安時代に編纂された「続日本記」によると宝亀11年(780)には従五位下、「日本書紀」によると延暦14年(795)には従五位上、「続日本後記」によると承和7年(840)には従四位上、「日本文徳天皇実録」によると斉衡元年(854)には従三位、「日本三代実録」によると貞観元年(859)には正三位にそれぞれ列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に礪波郡の式内社7座の筆頭に記載されました。
平安時代の末に一時、越中国府が礪波郡に移転したことから、最高位だった高瀬神社が越中国一宮と称するようになりました(現在越中国一宮と称する神社は高瀬神社の他、射水神社、気多神社、雄山神社があります)。
中世に入ると福光城の城主石黒氏から庇護され社運が隆盛し、当時の高瀬神社は神仏混合していたこともあり参道や境内には多く支院が軒を連ねていました。文明年間(1469〜1487年)に石黒氏が滅ぶと一向宗徒の支配となり神官などは一部雄神神社に逃れ、境内は荒廃したと言われています。江戸時代に入ると加賀藩主前田家から庇護され社殿等が再建されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て、明治6年(1873)に県社、大正12年(1923)に国幣小社に列し戦後は別表神社となっています。
高瀬神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行5間、張間3間、正面3間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は三間社流造、銅板葺き。功霊殿は天保7年(1836)に高瀬神社の旧本殿として造営されたもので、一間社流造、銅板葺、正面1間唐破風向拝付、細部には精緻な井波彫刻、江戸時代後期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和41年(1966)に南砺市指定史跡に指定されています。主祭神:大己貴命(大国主命)。配神:天活玉命、五十猛命。
高瀬神社:上空画像
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