福光宇佐八幡宮(南砺市)概要: 福光宇佐八幡宮の創建は奈良時代の天平勝宝2年(730)、当時の領主大伴持豊が宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。以来、石黒庄の総社として広く信仰され歴代領主からも崇敬庇護の対象となり、江戸時代に入ると加賀藩(藩庁:金沢城)から庇護され社殿の造営の際には藩より銀子の寄進を賜っています。
寛仁元年(1017)に寛仁寺が別当寺院として創建されて以来、神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃除され明治6年(1873)に郷社に列しています。
毎年4月第3日曜日に開催される例祭は200年以上から行われているもので御神輿うあ獅子舞、屋台が一日中町内を巡幸し、名称「宇佐八幡宮春季祭礼」として平成18年(2006)に「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されています。
福光宇佐八幡宮の社宝である猛虎図は文化5年(1808)に制作されたもので、当時、円山応挙と並び称せられた岸駒の作品として貴重な存在で昭和49年(1974)に南砺市指定有形文化財に指定されています。白孔雀は大正11年(1922)に石崎光瑤が制作したもので帝展に出品した大作として同じく昭和49年(1974)に南砺市指定有形文化財に指定されています。
現在の福光宇佐八幡宮の社殿は江戸時代後期の天保15年(1844)に造営されたもので拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間軒唐破風向拝付き。本殿は覆い屋内部の為不詳。祭神:誉田別命、息長帯日賣命、誉田別比賣命。配祀:火産霊命、彌都波能賣神、大國主命、菅原大神、倉稲魂神。
南砺市:神社・仏閣・再生リスト
|